【第6話】父が早期退職し選択肢が狭まる!「私立の建築学科なんてまず払えない」他の道を模索する日々/家にまつわるマイヒストリー
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前回は【第5話】阪神淡路大震災でマンションが半壊「家に対する価値観」が変わった高校時代でした。
自分の人生を振り返るというのは「自分の中の当たり前」がどこでどう形成されてきたのかの歴史を振り返るようなもの。
高校時代の日々の暮らしと父の早期退職!これはほんとうに驚きました、、、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。
マンションは半壊のため補修工事がはじまる!高校は仮設校舎の二年間
震災で友人宅へ避難していたのも一ヶ月ほど、高校には仮設校舎が建設され、元の生活に戻ってきました。
「仮設校舎、かわいそう、、、」と思われるかもしれませんが、前の校舎の時よりも、高速道路からは距離も離れ冷暖房も完備されたため案外快適でした!
住んでいたマンションは半壊という診断がくだされ主要な柱を補強して住み続けた訳ですが、、、怖すぎますよね。
いつ倒れるか分からない、いつ同じ規模の地震がくるか分からない、、、とおびえながらも
ちゃんと目が覚めたら「今日も生きてた」と気持ちを切り替えて学校に通っていました!
高校時代はバレエを続けながら器械体操部に入部
中学時代は部活に燃えていた私なので、やはり引き続き高校生の間もがっつりやっていました。
もう陸上部はお腹いっぱいだったので何に入ろうか迷っていたら、、、たまたま一緒のバレエ教室に通っている一つ上の先輩が
「やっちゃん、体操部に入部して!」「私はマネージャーだけど、やっちゃんは絶対選手で入部ね」と勧誘。
「私も怪我は避けたいな」「高校から器械体操って遅くない?」と不安を伝えても「大丈夫!」「踊りが生きると思うよ」と離してくれません〜他の部活もバレエを続けながらだとまた苦労しそうだし…
先輩の後押しもあり、私も友人を勧誘して、晴れて器械体操部に入部しました!
体操部にせっかく入っているのだからと、発表会ではバレエの先生が振り付けをアレンジして後方(バク転の足が付いたバージョン)を舞台で披露。コラボってやつですね。
ということで、若干強引なところもありましたが、自然な流れに乗りつつ、バレエで休むことに対する先生の理解も得た上で、今回は大歓迎されて器械体操部の選手として、三年間の青春をささげました!
大きなチャンスが非常事態に!「試合とコンクールどっちが大事なの!?」と言われても
バレエのレッスンは相変わらず週一回を死守していたのですが、そんな私に大きなチャンスが二回ほどやってきます。宝塚出身の先生の元で習っていたので、宝塚市民バレエという舞台のオーディションに合格。
たまたまビリで合格して、舞台に立てました!(みんな二役あるのに私は一役だけ…)でも嬉しかったー!レベルの違う人が目の前で踊っていて
「絶対自分はバレリーナにはなれないな(って前から分かっていたけど)」と思い知った瞬間でした笑
そして二つ目のチャンスは神戸舞踊コンクールです!!通っていた教室から毎年2〜3名選ばれるので私にとっては一生に一度のチャンスでした。本当に一度だった、、、
体操部のメンバーが少なすぎて、一人掛けても団体戦に出られなくなる状況の中、試合の次の日がコンクールになるという非常事態!!
部活終わりにレッスンに行く日々。コンクールの仕上げの段階では、バレエの先生が最後ピリピリしていて「ほんとに試合にでるの!怪我したらコンクール、どうするつもり」「やっちゃん、どっちが大事なの!?」と怒られたな〜
(黙っていたけど、先生、どっちもです…。バレエも部活も、ほんとうにいろいろありました!とにかく家にまつわらないのでこのくらいに^^)
父が母に相談なしで早期退職を決めてきた事件
こんな忙しい毎日を送っていたのですが、高校二年生くらいの頃に事件が!当時普通のサラリーマンをやっていた父は、特に出世街道には乗っていないものの真面目に働いていました。
しかし、会社の方針で早期退職者には通常よりいい条件で退職金がもらえるとかなんとかで(大幅なリストラですね)退職者を募っていました。
寡黙であまりお喋りではない父なので、勝手に決めてきての報告。母は珍しく激怒!?というより呆れかえっていましたね。
「なんで子どもが大学に行く前のお金がかかる時期に辞めるんだろう」「子ども達の大学の費用はどうするのよ」と母は不安に。
私が母を慰めるものの、なんで当事者が親を慰めないといけないんだと内心思っていましたが、めずらしく怒っていたので「大変ね(でも大変なのは私だけど…)」と聞いてあげていた記憶があります。
「私立の建築学科は諦めて」残された道は国立大学か就職か専門学校
退職を決めてからは、さぁ大変。いよいよ高校では「理系コース」「文系国立コース」などクラス編成が変わるタイミングがやってきます。
すでに兄は予測通り国立の高専を出たあとに、編入試験を受けて国立大学に奨学生として入っていました。
でも、私の学力では国立の建築学科(京都大学や神戸大学)を受けるには脳が足りない。
「私立大学を四年通わせるほどお金が無い」とはっきり言われるし、中学生の時と同じく大手の塾に通えそうにもない。
それなら、気持ちを切り替えて「ピアノも弾けるしダンスもできるから幼稚園の先生になる!」と言ったり
美容師の専門学校に行ってすぐ就職しようかな、なんて思っていました。
担任の先生から思わぬ提案が!!「この子に新しい道を」
どこかで建築の夢も諦められずにいながらも、担任の先生に進路相談をしつつ家の事情を話したら、母がすぐに学校に呼び出されました!
「お母さん、日笠さんはほんとうは建築を諦めていないし、もったいない」「いろんな道がありますよ」
と言ってくれて「専門学校でも年間100万はかかるから、奨学金を取って短大に行くのはどうでしょうか?」「京都ならお兄さまもいるみたいだし」と提案。
母と二人で「へぇーーー」と驚き、まさか短期でも大学に通えるかもしれないなんて!と小さい光が見えたのでした。つづく…
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書きながら、私って淡々とこなしているように見えるなって思いました。その時その時は大変だし凹んでいるのですが、時間が経つと「これは仕方ない!」と割り切っていた気がします。
割り切らないとやっていられないので、この技は小さいころから少しずつ身につけていたのでしょう。
父の早期退職は、ほんとに日笠家の危機でもありました。おっとりして、いつも穏やかな父ですが「なんにも考えていない」と言えばほんとにそう。母は静かに怒っていましたね。父は亡くなったけど、この前母がまた思い出し怒りしていましたよ笑
ということで、一時は本気で幼稚園の先生になる!とまで思ったけれど担任の先生に救われました!
社会の先生なので歴史好き→京都好き→日笠さんには京都女子に行って欲しい
ただの先生の趣味、という感じうかがえましたが、、、 今では心から感謝しています。
次回は
【第7話】短大に無事合格!奨学金をもらいながら様々なアルバイト経験から学んだこと
お楽しみに