【第1話】幼少期から母の影響が!?よくあるマンション3LDKの間取りで頻繁に模様替えが行われていた実家の話/家にまつわるマイヒストリー

 

家にこだわり続けるマイヒストリー

第一話をお伝えします。

 

兵庫県神戸生まれ芦屋育ち

父も母も神戸の出身。

 

神戸で生まれ、結婚するまで芦屋に居ましたが

いわゆる芦屋のお嬢様ではありません。

(お嬢様ならこんなことになってない…笑)

神戸に祖父と一緒に暮らしていた両親は

子どもが生まれるタイミングで

ある一大決心をしたそうです。

 

両親の一大決心!子育て環境がいいところへの引っ越し

祖父の家は狭く子どもを育てられる環境ではないことと

家を出たら道路、という状況なのが心配。

 

そこで芦屋市にできると当時話題になっていた

「子育て環境の整った場所」へと引っ越しました。

 

具体的に言うと

 

公園が各マンションの目の前にあり

 

道路を渡ることなく

幼稚園や小学校に行ける

 

よく考えるとすごい…

 

今でこそ価値は相当下がっていますが

当時は市営住宅から県営住宅から

中には最上階は高級層のマンションまで

 

(と住んでいる場所を知っているから

誰がお金持ちで…が丸分かり)怖っ

 

でも同じ考えの人の集まりだからか

 

価値観は合うし、結局高校まで一緒の友達も

沢山居ました。恵まれた環境

ではありました。

 

元気がなくて若くないけどなんだか楽しい母

子どもってすごい表現を使いますね、、、

 

母は兄を35歳、38歳で私を産んだのですが

(いろいろと悲しい事情もあり)

 

父も2歳上で、当時で考えると高齢でした。

友達のお母さんとは違う感じ。

 

産後からずーっと体調が優れないこともあり

子どもが安全で居られる場所

にかなりこだわっていたようです。

 

外に楽しみを持つことが難しいこともあってか

家でに帰ると

時々面白いことが起こっていました。

 

できないなりにできることをやる発想

人には苦手なことやできないこと

不満があっても

すぐに変えられないことってありますよね。

 

ある日のこと

 

「ん?なんか部屋の雰囲気が違う、、、」

 

母「なーんでしょう?」

 

「あっ、テーブルの向きが違う!?」

 

母「そうそう、正解!」

 

とか

 

普段はキッチンの近くに

ダイニングテーブルが置いてあるのに

 

 

こたつの季節になるとTVもこたつも

ダイニングテーブルの場所に移動

 

 

ある日急に一人で配置替えするので

正直テーブル遠っ、、、

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

また、母は時々何やら嬉しそうに

 

母「さっ、そろそろ部屋変えかな〜」

 

母「私、お父さんと別の部屋にする」

(えー、なんでそーなるん?)

 

母「3つしか部屋ないから誰と組む?」

 

兄「お父さんとお母さんはセットで居てよー」

 

みたいなことを

家族で話し合ったりしていました。

 

こんなことが当たり前だと思っていましたよ!

 

いつ行っても同じ家具配置の友人の家

「あれ?模様替えとかしないの?」

なんて無邪気に質問したことも。

 

家の不満さえ模様替えで解決したのでは!?

今考えると母は

キッチンが狭い、高いものは買えない

設備が古くなってきた、大きな家に引っ越せない…

 

長く住むと出てくる家の不満

模様替えをして気分転換することで解消

していたのかも。

 

旅行に頻繁に行ったり

外に出てバリバリ働けないから

 

家の雰囲気を変えること

楽しめないかな〜

 

そんな風に思ったのでしょうか。

 

 

父や子どもの私たちも多少振り回されながら

母が次はどんな面白いことを言ってくるのか

心のどこかで楽しみにしていた

気がします。

 

                つづく

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第2話は

祖父の住んでいた狭い平家建てに 「もしも私たち家族四人が移り住んだら」の妄想が止まらない

です。ある意味、ここが原点かもしれません。

 

 

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