サポートする子どもが疲弊しないことがポイント/実家を片付けて売却!母の施設入居までの道のりpart①
いよいよ長年住んでいた実家を引き上げることになりました。
5年前に父が亡くなってから、母は一人で兵庫県の芦屋市に住んでいました。私の地元です。
今年に入ってからすぐに手術を終え奇跡的に成功し、今月施設入所を無事に終えたのですが(書くと簡単)、ここまでの道のりはなかなか大変でした。
母の体調がもちろん一番に考えるものの、サポートする子ども自身が疲弊してしまうのは避けたい!
実家の片付けや売買、同居、引っ越しなど、これまで以上に兄妹間のやりとりが頻繁になりました。
いつかはくる親のこと、私の経験が少しでもお役に立てばいいなと思います。
病気が分かってから施設入所までの大まかな流れ
・5年前に父が他界
・4年前:母が肺がんの手術をして肺の1/6切除
・回復し一人暮らし
・2020.10耳の下のあたりが腫れ内科受診
・2020.12紹介状をもらい甲南病院へ(帰省して付き添い)
・2021.1国立がんセンターで受診、一週間後手術
・兄の家で同居
・2021.4施設入居
去年の秋頃に異変に気がついてから、約半年で手術と関東へ移住、施設入所という今振替るとバタバタな毎日でした。
病院のたらい回しは避けたい!以前かかった国立がんセンターへ
80歳になる母は30代の子育て期から長年うつ病を発症しており、気分が山あり谷ありなので(だから私はこんな性格…笑)時々どーんと落ち込む時期があります。
元気な時はいいのですが、癌の再発のタイミングで落ち込んでいたので、これは一人では厳しいだろう、ということになり関東へ呼びました。
一時的ではあるものの兄の家に同居させてもらい、病院への受診なども兄が仕事を休んで行ってくれることも。
一家の大黒柱がそんなに休むわけにもいかないだろう、と、私もできる限り調整して行くようにしていました。
ちょっとした自分の楽しい、嬉しいを見つける
なんだか暗い投稿になってきた!?※この写真がなんの写真かというと、、、場所は国立がんセンター(築地)の目の前のきつねやさん
いろいろ大変だったけど内心、「いい経験してるな〜」「ブログ読者さんのためになりそう!」「親の心配もできる歳になったのか」と案外楽観的、客観的でいられました。
ちょうどブログ記事も書けなくなっていた頃は、疲れているな〜と疲れを味わっていましたが、結局のところネタにできているので、ポジティブチェンジができるようになったのだと思います。
朝30分だけ早く行って“ほかほかの朝ご飯”にほっこり
ちょっとだけ早く電車にのってたまたま入ったこのお店がめちゃくちゃ美味しかった!
温かいご飯に超癒されました。これから手術だったので緊張してたけど、私ってついてるな〜って
シミシミの豆腐に七味をたっぷりかけて♩
辛いことがあってもお腹は減る!ってよく言いますね。それに、こんな美味しいご飯を食べられたんだから、がんセンターありがとう!
ご縁を大切にするといいことある
このがんセンターも、長男の時に出逢った仲良しのママ友が働いていたというご縁でした。
後に出てきますが、母の施設入所もすごいご縁が、、、とにかく、いいことばっかり起こっています。
ちゃっかりLive配信のネタにしたし笑
なんといっても、結果的によかったというだけなので、その人の考え方次第なのでしょう!
仕事とか家族の予定も調整して忙しかったし、心配で眠れなかったし、ブログも書けなかった
でも、ちょっとした美味しいご飯や、兄妹や親戚とうまくやりとりできたし、いいことも沢山ありました。
次回
サポートする子どもが疲弊しないのは一番!!というメッセージを入れましたが、さてさて、次回、手術はうまくいったのでしょうか?
次の問題は、一人で住み続けるのか、どこで誰と住むのかです。